東日本大震災

 お気楽なまま午後になり、品川に戻った。そしたら、揺れているじゃないか。ビルが、そして日本が。国内中がとてもシビアな状態になった。9階のフロアは踊り出すように揺れていて、誰もが恐怖を感じていた。これが東日本大震災だった。俺は急にNHKを映し出した会社のテレビモニターに釘付けだった。言葉の上では阪神大震災の再来とみんなが言うが、当時7,8歳で関東に住んでいた俺に阪神大震災の体験はない。だけれども、震災がもたらす初めての恐怖と興味が共存した時間だった。
 地震が収まり、そこからしばらくは混乱と安堵。東京という土地は、当事者でなければすべて他人の感覚だ。なおさら、品川のこのビルは顕著だ。ゲームを見るかのように、テレビジョンが映す、東北で津波が押し寄せる風景を皆が楽しんでいる。中には、それを見て「災害対策の案件が増える」だなんて言うやつもいて、吐き気がする。この会社は無くなってしまえばいいと思う。自己の安全よりも業務。被災地よりも業務。クソ喰らえだ。ルータの停電を心配して、契約期間の遅延を心配して眠れない夜を過ごせばいい。俺はこの会社が大嫌いになった。
 夕方の東京は帰るアテも無くて、会社はタクシーで帰っていいと言ったけれどもタクシーが来なくて、結局徒歩で帰宅した。これから、品川のビルを出てから撮影した風景と共に送る。

 品川駅の新幹線口での風景。翌日運行されるとも保証されない新幹線に並ぶ人たち。並ぶ人間はバカの象徴だ。お前は死刑台にだって並んでいるだろう。

 閉じられたJR品川駅の改札口。開いているはずのドアが閉まっていれば、誰もが違和感に気づく。

 携帯電話なんてつながるはずもなく、公衆電話に並ぶ人たち。こういう風景を、会社員1年目で目にするとは思いも寄らなかった。そして、利便性の「べんりとあたりまえ」の二面性を理解したのであった。

 高輪口を出て、第1京浜をひたすら南下する。徒歩で帰宅する人たちが大勢いて、まるで行軍のよう。今ちょうど、日本は大変なことになっているというのに、誰もがお気楽気分で散歩している。俺は何よりどこかに隠れたくて恐怖していた。南下の途中では、地震に附帯したような商売がはびこっていた。格安の自転車を売る自転車屋、運動靴を売り始めようと急遽開店する靴屋、そして何よりも混んでいたラーメン屋とコンビニエンスストアユダヤ人よりもタチが悪い。

 20:00を過ぎたあたりで会社を出たのだけれども、3時間ほどかかって川崎に着いた。諦めと虚無が何度も繰り返されたが、何よりも今はアドベンチャーな感覚が自分を支配していて、それが後々の罪悪感に繋がっていたりもする。結局は周りと同じなのだ。

 最低の人間である俺は、川崎に着いたら夕飯を食べた。飲み屋でね。他に開いていないのだ。飛び込んで入った店には、川崎に帰って来た俺と、川崎から帰れない誰か。その2者が共存した居酒屋のカウンターは、混沌を感じさせるには十分な具合をしていた。
 最悪の1日だ。そして最低の日々が始まる。悲しみだけじゃない。明日から最低の日々が始まる。