口は災いの元とはよく言ったものでござる の巻

 某プレゼン授業、図書館論の講義を受けていてやたら訛りの強い関西人がいて、その内容があまりにもつまらない上に、関西訛りがひどすぎて、終わった後友人たちとの雑談で「関西弁が耳につくわ」と言ったら、関西人の友人にmixi日記でたたかれました。どうも僕です。炎上ネタ大好きなんで、全容をメモっておこうと思う。
 以下、そのたたかれた日記。

図書館論の発表スライドを作らないといけなかったんやけど、寝てしまった結果、20時過ぎに起きて、そっから開始。
発表はつまらないながらなんとか終わったけど、「発表時に関西弁だったのが耳につく」という某人のコメントには驚いた。
正直、それは君の主観であってもなかなかきわどい発言だぜ☆
まずだいたいにおいて、「北関東では普通」には笑わせてもらったぜ(>_<)
まぁこんなことを言っている時点で、それなりのアイデンティティを感じているのでしょうね。

 ここから個人的コメント。
 いや、おかしくねーか。くだけた場ならまだしも、一応は公の場であるプレゼンテーション中(しかも出身は皆バラバラ)くらいは努めて標準語を喋るべきだろう。その地方独自の訛りならまだしも*1、なぜよその方言を声高に主張するのか。まるでアメリカンジョークに出てくるフランス人のようだ。
 あと、義務教育の段階でせめて授業中くらいは標準語を話すような教育をされなかったんだろうか。俺の地元では多少ながら訛りが残っていたけど、訛りや方便についての授業があって標準語との差について学ぶ機会があったんだがなぁ。そういう意味での「北関東では普通(、こういうとき標準語で話すよ)」だったんだが。決して「北関東は普通(の言葉【=標準語】を話すよ)」という意味ではないんだがな。
 本人は東京都出身なのに関西弁を喋る。物心ついたくらいで関西方面に引っ越して、今年関東に戻ってきたわけだ。本人は「引っ越しばかりで俺には地元と感じる場所がない」とかいうが、あんなこと言うようでは関西方面に地元意識を作っているんではなかろうかと思う。それはいいことだ。アイデンティティで人は生きるものだと思う。なければ猿以下だ。そして俺だって同じような時期に引っ越していたら、郷に入っては郷に従えの精神でもって今頃関西弁を喋っているだろう。
 関西に行って関西の水を飲むことをよしとしたのに、なぜ今回、北関東の水を飲もうとはしないのか。その固執を棚に上げて批判されるのが、まったく不思議でならない。

*1:訛りについて異常と言っていいほど個性を感じている関西人に、関西の公共な場でまで標準語で話せとは言わない。